今までの主な仕事

花巻の歴史文化と風土によって生まれた精神を伝える「新渡戸記念館」

藩政時代の花巻は、花巻の重要な出城として整備された。南部氏(盛岡藩)は、豊臣秀吉によって主家を失った稗貫氏や和賀氏、葛西氏やその配下にあった江刺氏などの旧豪族の主だった家臣を家来に取り立て、花巻城に集めて南の伊達氏(仙台藩)に備えている。

その旧豪族の家臣の一つとして「新渡戸家」があり、その家系から「新渡戸稲造」が生まれている。新渡戸家をはじめ南部氏からすれば外様の家臣は、南部氏本流からの抑圧と伊達家からの威圧に耐えて、「花巻魂」を練り上げ、やがて稲造の「武士道」において昇華する。同じ花巻在番の家臣の家に生まれ後の北大初代総長となった「佐藤昌介」も花巻の友人に宛てた漢詩に「花巻魂」について述べている。

藩政時代新渡戸家は、1598(慶長3)年から約220年間、花巻の地に居住し、花巻城に出仕し文武両道の精進を重ね、やがて稲造の祖父「新渡戸傳(にとべつとう)」を排出する。「新渡戸傳」は、父とともに南部家からの追放の憂き目などに会いながらも、事業家として頭角を現し、やがてその経済的な才能により南部家から再度向かい入れられ、勘定奉行などの藩の要職を歴任している。その大きな功績は十和田市の生みの親とも称される青森県十和田市の三本木開発をはじめ、各地の新田開発が著名であり、藩政末期の南部藩の代表的な著名人となっている。

1989(平成元)年、花巻市ではこの新渡戸家を功績とゆかりの品々を展示公開する新渡戸記念館を開設した。この記念館の設計と管理は当事務所が担当している。